コスタリカで平凡な一日が特別な一日に変わった日

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コスタリカでのスペイン語留学の最終日。その日はスペイン語学校を卒業するとは言え、特にセレモニーがあるわけではなくいつも通りの放課後を迎える。この日が期限のタスクがあったためスクールメイトとランチには行かず一人でホームステイ先の近くのローカル食堂へ。来た時は意味が分からなかった看板のpollo(チキン)、carne de cerdo(ポーク)、pescado(フィッシュ)と言った単語の意味を瞬時に理解できるようになった喜びを噛み締める。女の子をデートに誘うフレーズはすぐ覚えるように食べ物は覚えるのが早い。

スペイン語ができなくてもレストランの注文ぐらいなら料金とレイアウトを見てそれっぽい所のメニューを指差せば料理は出てくる。しかしここは田舎のローカル食堂。観光客向けのレストランのように英語のメニューはない。それどころかメニューや料金表すらない。

たどたどしくも学校でロールプレイした教科書通りの丁寧なスペイン語でレジのお姉さんに注文を試みる。今日のランチのような簡単なもの注文すれば無難だけど、卒業祝いのコスタリカ最後のランチ、妥協は許されない。食に対する情熱は、時に挑戦する勇気を与えてくれる。悪戦苦闘しながらもコスタリカ人の友達に教えてもらったお目当ての風土料理とフルーツ盛り合わせのオーダーに成功する。
思い起こせばはじめて一人でローカル食堂に行った日は、システムも値段もよくわからないまま促されるままジェスチャーでの注文しかできなかった。今もまだ料理の詳しい説明を受けたりはできない。それでもこの3週間、いろんなことを犠牲にしながら必死に勉強してきた確かな手応えを感じる。

そして、次の瞬間、平凡な一日が特別な一日に変わった。

一目見て日本人と分かる自分に店主が話しかけてきた。

「スペイン語は話せるか。」

コスタリカに来た日は、この質問すら聞き取れなかった。

「un poquit(ほんの少し)」

覚えたてのフレーズで答える。

そして、正確には聞き取れないが状況から判断すると店主がこっちへ来て通訳をしてくれと頼んでいるようだ。さっきオーダーに苦戦していたのは見ていなかったのだろうかと思いながらも手招きされる方へ向かう。そこには欲しいものがあるけどスペイン語がわからず諦めて帰ろうとする白人夫婦がいた。

「他に頼む人おらんのかい?」と突っ込む語力はまだない。

困っている人がいたらわからなくても助けようとしてしまうのが関西人。スペイン語よりはましな英語で白人夫婦に何が欲しいのか聞く。どうやらフレッシュジュースが飲みたいらしい。スペイン語と比べたら英語がとても簡単な錯覚に陥り、コスタリカの文化を説明したり雑談にも花が咲く。気を良くしたお父さんが、パイナップルやパパイヤの単品ではなく、バナナとスイカを混ぜたミックスジュースにできるかとハードルをあげてくれる。OK、頼んでみよう。

「フレッシュジュースを飲みたい。」

これは教科書通りのフレーズそのままででいける。

「全部混ぜることはできますか?」

こんなフレーズは習ってないけど、全部というボキャブラリーと許可の構文を応用していけそう。

これまでバラバラに習ってきたボキャブラリーと構文を組み合わせ新しいフレーズが生まれる。点と点が線につながる。

「Cuanto cuesta?」

値段を聞くのはもうお手のもの。

「旦那さんと奥さんの分で2杯、おいしそうなので自分の分を1杯加えて合計3杯お願いします。」

希望通りの注文をできた!スペイン語ができる人にとってはなんてことない会話だが自分の中では今回のスペイン語留学の集大成のような会話だ。

お友達らしき人もやって来て追加を頼む。

「パイナップルだけじゃなくてミックスジュースが飲みたかったんだ。すごく助かったよ。ありがとう。君がいなければ帰っていたよ。」

満面の笑みのご夫婦と店主。その笑顔を見てこっちも頬が緩む。

カタコトのスペイン語ではあるが、はじめて通訳っぽいことをして人の役に立てた。人をつなげ希望を叶えるHUBになれた。

その夜ホームステイ先でこのことをホストファミリーとルームメイトに話した。コスタリカに来た時のスペイン語力とあれからずっと必死に勉強をしてきた自分を知ってる彼女たちも、「すごい。エキサイティング。」といっしょに大喜びしてくれた。

そこにコミッションはない。しかしかけがえのない思い出と喜びとスペイン語を学び続けるモチベーションをもらった。語学を学ぶ人を応援したいという気持ちも増した。語学を学び続ける限り、留学エージェントという仕事を続ける限り、この日のことは一生忘れないだろう。

10年以上前、オーストラリアでこんな出来事があった。あの頃も今とは少し違うが前職で家庭教師のお兄さんとして留学生に付き添い海外生活を支援していた。

授業を受けていた生徒が急に腹痛を訴え病院へ行きカタコトの英語で現地のお医者さんと日本人の生徒の間に入った。大事には至らなかったが、通訳とは言えないような恥ずかしいレベルだった。にもかかわらず、普段は生意気で強気な生徒がその時も後からも何度もお礼を言ってくれてすごく感謝された。あの時の嬉しさは英語を学んだり今の仕事を続けるモチベーションになっている。

周りから見ればちょっとした腹痛で病院にいっただけかもしれない。しかし彼女にとってそれは特別な出来事だった。彼女だけではない、あの日のことは10年以上たった今でも憶えている。